小学生の頃、日本の地理を勉強していた時、
「ここね、中国地方の瀬戸内海側を山陽、日本海側を山陰って呼ぶんだけど。
山陰の「陰」は陰気とか陰湿とかあまり良い意味で使われない字だよね。
だから「山陰」もイメージ良くなく聞こえるかも知れないから、
山陰じゃなくて、中国地方の日本海側とか、中国地方の北側って言う方が良いのよ」
そう先生から教わりました。
以来、nobu☆はひたすら山陰と言う呼び方を避けていたわけですが。
島根に来たらどうでしょう?
山陰合同銀行(銀行)、山陰中央新報(新聞)、テレポート山陰(ニュース番組)、
山陰道(高速道路)、山陰中央テレビ(テレビ局)、山陰放送(テレビ局)、
山陰リネンサプライ(企業名)、山陰リース(企業名)…。
上げたらキリがありません。
「山陰」を名乗ったものがいっぱい!
「山陰って言葉に後ろめたさを感じたことないよ」
nobu☆の妻はそう言ってます。また、
「山陰の陰は陰気の陰。住んでる人間も明るくありません!」
と言うテッパンの自虐ネタで、
職場の上司は日々取引先から笑いをとっています。
先生、大丈夫ですよ。
山陰の方は堂々と山陰を名乗っていらっしゃいます。
今回はnobu☆が島根への移住を決行した日、
山陰地方の大動脈?JR山陰本線での移動の様子を、
当時のメモを頼りに綴ってみます。
ちょっとした旅行記みたいな感じです^ ^
では始まり始まり♪
移住前夜 大阪駅にて
こんにちは、
nobu☆です(╹◡╹)
平成12年(2000年)11月2日木曜日、天気は曇り。
時刻は23時ごろ、わたしは大阪駅の3番線ホームにいました。
線路をはさんだ向かい側、1番線は大阪環状線内回り、
2番線には大阪環状線外回りのホームが見えるんですけど。
あぁ、大阪環状線と言うのは、
大阪市内を40分程でぐるっと一周する全長20kmのJRの路線です。
東京の山手線が一周34.5km、所要時間が1時間ちょっとだから、
丁度、山手線を一回り程小さくした感じですね。
この大阪環状線、
とにかくお客さんが多くて、いつ行ってもホームは人混みなんです。
この11月2日も、特に翌日から三連休、
(11月3日は文化の日、11月4日土曜日、11月5日日曜日)と言う事もあってか、
時刻はすでに23時と言うのに、遅めの帰途に着く人々で随分と賑やかでした。
それに比べるとnobu☆のいる3番線は…。
旅人風の若者や家路に付くサラリーマンやらがチラホラ?
向かい側の環状線ホームの人混みを見てしまっているから、
とっても閑散としてる様に感じたものです。
急行だいせん、ボロくない?
そんなどこか取り残された感のある3番線に、
これからnobu☆の乗る「急行だいせん」が、
ゴーゴー、大きなエンジン音をさせながら入って来ました。
おー、いよいよnobu☆の移住生活の第一歩を踏み出す時が来た!
いい日 旅立ち 幸福をさがしに
子供の頃に歌った歌を道連れに…♪
山口百恵さんの名曲が、心の中でこだまする様なイイ感じだぜー!
心ワクワク。ところがですね、
わたしの前にやって来た急行だいせん、
1両目、2両目、3りょ…(・・?)。
2両だけ!?もう終わりですか?短過ぎないですか。
しかもなんだかこの車両、煤けた感じで結構使い込んでますよね?
大阪環状線や、JR京都線、JR神戸線には、
6両とか、8両とか長い編成の列車が颯爽とやって来て、
次々乗客を乗せていってるのに?
「年季の入ったこの列車、旅情を感じさせてくれるぜ」
そう思いつつ列の流れに身を任せ車内に飲み込まれて行ったnobu☆でしたが。
結局、立ち客が出ることはなくほとんどの座席が埋まっていました。
ところでこの急行だいせん、寝台車の連結された寝台列車じゃないんですよ(゚∀゚)
2人ずつ座る、まあ高速バスみたいな感じのシートがあるばかり。
ピーッピ!
発車の鋭い笛の音が車両後方からかすかに響いて。
ブルン、ゴー、ゴゴー!
急行だいせんで山陰へGO!
大阪駅を出るとすぐ、川幅600mはあろう一級河川・淀川(よどがわ)を、
ガタンガタン!大きな音を立てながら渡る。
電車ならスイスイ走って行くのですが、なにぶんにも急行だいせん、
この先電化されていない山陰本線を行くこともあって、
動力がモーターではなくディーゼルエンジン。
加速の際には、ガガーと力むようにエンジン音をさせて、
頑張ってる感満載の走りをします。そのうち、
「汽笛一声新橋をはや我が汽車は離れたり〜♪」
鉄道唱歌のメロディーが流れて、
車掌さんの挨拶が始まりました。
「皆さま、本日のご乗車誠に有難う御座います。
この列車は急行だいせん号米子行、車は2両繋いでおります。
前側1号車は指定席車、後側2号車が自由席車です。
…
…
…
停まります駅と時刻を御案内致します。
尼崎23時22分、宝塚23時39分、三田23時53分、…
伯耆大山5時37分、終点米子には5時42分、終点米子には明朝5時42分到着です。」
次第に知らない町の名前が増えて行く、
新しい世界へと旅立つ少しの不安といっぱいの希望。
尼崎からは福知山線に入り、
宝塚歌劇で有名な宝塚辺りまで、街の灯りも賑やかだけど、その後は…。
時折街灯の灯りが過ぎて行くばかりの暗黒の世界〜。
三田(さんだ)あたりで、帰宅に利用していたのでしょう、
サラリーマンの姿が見られなくなり、車内も空いて来ました。
nobu☆は乗客の居なくなった隣の席も使って、
身体をくの字に曲げて横になりながらウトウト。
暫くすると、停車している感じが。
見ると福知山駅に停車中でした。
福知山駅は北近畿の交通の要綱で、
改札口とは反対の方、目を凝らして見てみると何両もの列車が見えました。
ここは列車達の寝室、いや車庫があって、
まるでゾロゾロと列車達がたむろして眠っている様にも。
当時の時刻表を調べて見ると、
急行だいせんは夜中の間も結構こまめに停車していた事が分かります。
駅名 | 発車時刻 |
大阪 (おおさか) | 23:15 |
尼崎(あまがさき) | 23:22 |
宝塚(たからづか) | 23:39 |
三田(さんだ) | 23:53 |
篠山口(ささやまぐち) | 00:14 |
柏原(かしわら) | 00:34 |
福知山(ふくちやま) | 1:20 |
和田山(わだやま) | 1:50 |
豊岡(とよおか) | 2:30 |
城崎(きのさき) | 2:41 |
香住(かすみ) | 3:14 |
浜坂(はまさか) | 3:36 |
鳥取(とっとり) | 4:16 |
倉吉(くらよし) | 4:52 |
由良(ゆら) | 5:01 |
浦安(うらやす) | 5:06 |
赤碕(あかさき) | 5:12 |
御来屋(みくりや) | 5:22 |
大山口(だいせんぐち) | 5:27 |
淀江(よどえ) | 5:31 |
大山口(だいせんぐち) | 5:37 |
米子(よなご) | 5:42 |
停車する度に今、どの辺りを走っているのか気になって、
ついつい目が覚めてしまう(≧∀≦)
城崎駅。電灯の灯りが乗り場を明るく照らしてる。
いつもは城崎温泉の観光客で賑わうこの駅も、
流石に真夜中2時半頃、誰も居ません。
また暫くすると、今度は香住(かすみ)駅に停まっていました。
ホームには大人の背丈より大きなカニのハサミの像が立っています。
香住は国内有数の松葉ガニの水揚げ量を誇るカニの街。
ここから関西方面を中心に全国へ松葉ガニが発送され、
また全国から松葉ガニを求めて人々が訪れます。
「もう11月、そろそろカニ漁も解禁の頃かぁ」
蛍光灯の灯りが眩しいホームを見ながらそんなことを思ったり。
おっと、今日はこのくらいにしておきましょうか。
列車は更に西へ西へと走ります。続きは次回。
ではまた、お元気で(^ν^)
comment